本文へスキップ

 すずらん書道教室では初心者〜大人の師範を
 目指す方まで丁寧に指導いたします

     


★書道あれこれ★


むかしの(とくに戦前くらいまでの)人の書いた手紙の中の漢字が
私の知ってる字とちょっと違うし、字と字がつながっていて
なんだか、何を書いてあるのか、わかりづらいわ・・・
すごい上手に見えるけど、読めないわー。

なんていう経験ありませんか?
実は、戦後を境に日本の文字の改革がGHQの占領下に行われた歴史が
この事に大きく影響しているのです


昨年は戦後70年目の年でしたが
少し歴史を振り返って書道のお話しをします。

今、我々はおもに使う文字として、義務教育で習う漢字の数も決められ
基本は楷書しか学校では教えません。

ところが、明治、大正、昭和の初めの時代までは
文字を勉強するといえば草書や行書も含まれ、
漢字数も画数も多い旧漢字の楷書(たまに見かける名字に残された「渡辺」さんの渡邉など)、
平仮名も活字体からはほど遠く、崩して書いていて
目で慣れるだけでも相当時間がかかりました。

庶民の家庭の中には、学校に行けたとしても勉強に時間がかかることや
家計の事情などの為、女子は小学校まで、
家庭の男子が代表してそれ以上の学校に行くなどの状況もありました。
明治中期の識字率の調査によると、全国平均で男子40〜50%女子10〜20%という研究もあり
学力格差は現代よりさらにはるかに大きかったのです。

さて、戦後になぜアメリカ主導のGHQがなぜ漢字の草書行書を嫌ったのでしょう。

楷書だけは学習しても良いと残してくれたのでしょうか?
お話しのとおり
日本人ですら、学習に時間のかかり、判読に微妙な草書など
端的にいえば占領する障壁だったのです。
また戦後の日本の早期復興の為にも
漢字を減らそうとされた記録も研究された事も文書には残っています。

それに草書、GHQにとれば暗号文字にみえたかもしれないですね。

そして、戦後の学校教育においては画数少なめの現在わたしたちが使用している漢字を使い、
テストの答案も「楷書」で、と簡潔にさせられました。

翻ってみれば、戦争に負けたことによって
日常に必要最低限、生れや男女問わず、学習が容易な文字を
結果的に戦後、日本人は手にしたのです。


まあ、書道の講師としては、
草書も教える中、生徒に「草書はわかりにくい、行書は書きにくい」と何度も言われますが(笑)
だからと言って
「GHQの押し付けのせいで日本人は草書を読めなくなった、行書の書き方がわからなくなった」
などとは言いたくありません。

なぜなら、草書は一つの漢字だけで何通りも崩し方がある上、
異なる字でも、似たような混同しがちな崩し方があったりして
文面内容全体から、いずれの文字かを推測することもあるほど、デリケートな文字です。

それを、もし日常の文字として使い続けていたとしたら、文化の発達スピードは遅れて
戦後の日本の高度経済成長はありえなかったかもしれません。

今わたしたちは、少ない学習時間で誰もが現代の簡潔な日本語を使いこなすことが可能で
仕事などする上で円滑なコミュニケーションを行うことが可能ではないですか!

挫折を味わってそれを乗り越えて初めて「人」も強くなるかのように、
日本という国も、そういう道をたどったとは言えなくないでしょうか。

昔の日本はこうだった、などと懐かしむことはあっても
70年前の事実のみを持ち出して
       今の日本やその文化を否定することはないのです・・・


美術的には、草書や行書はとても美しい日本伝統の文字です。

しかしながら上記のとおり単純な文字ではないので、筆運びをじっくり考えながら集中することも多く
仮名の文章を書くときには、
スピードだけを追求するものではなく「どの変体仮名を使おうかしら・・」など
何種類もの中から、つながりがちょうど良いものを選んだり
今の世の中からまるでタイムスリップするような時間です。

そんな文字を学習されたい方は、ぜひ当教室にお越しください。
読めるようになれば、
何百年も前に書かれた武士の手紙の内容や、歌の石碑も
解説なしで理解できるかもしれません。

・・・・立石芳葉・・・・